足立美術館などを見学のあと、安来から松江にもどり、その足で松江城を囲む武家屋敷が立ち並ぶ一角の、小泉八雲が松江市滞在の一時期に借りていた屋敷を訪ねました。
小泉八雲記念館へのアクセス
松江駅前からですと、市営のレイクラインバスが便利。
「ぐるっと松江レイクライン」の名のとおり
市内の観光名所をぐるっとまわるバス
駅前から宍道湖にそそぐ、大橋川に架かる松江大橋をわたり、20分足らずで「小泉八雲記念館前」に到着。
巡回バスなので、記念館前から松江駅までの還りは、松江城城主松平家の菩提寺・月照寺から松江しんじ湖温泉などを巡って、同じく大橋川の宍道湖大橋をわたり、夕日公園などを経て再び宍道湖大橋・松江大橋をわたって松江駅にもどるので、30分あまりかかりますが、バスのなかではビデオで停留所ごとのくわしい説明を見ることができ、あたかも松江市内を観光バスで巡っている感じで退屈しません。
ぐるっと松江レイクラインの詳しいルートマップはここ
小泉八雲とは
明治時代、特派員記者として日本を訪れた小泉八雲、本名・パトリック・ラフカディオ・ハーンについて、簡単に略歴と、彼の残した功績を述べると、以下のようになります。
小泉八雲(こいずみやくも)、本名はパトリック・ラフカディオ・ハーン(Patrick Lafcadio Hearn)は、1850年にギリシャで生まれ、1904年に日本で亡くなった作家です。彼は日本文化の紹介に大きく貢献した外国人作家として知られています。
その 生涯
幼少期 ; 小泉八雲はギリシャのレフカダ島で生まれましたが、その後、アイルランドやアメリカで育ちました。
父チャールズはアイルランド系軍医 母ローザ・カシマティはギリシャ人
日本への移住 ; 1890年に日本に移住し、その後、島根県松江市に住むことになります。
松江に住んだのは一年余り その後、熊本に赴任したりしながら、東京で人生の最後を迎えました
国籍と文化的影響 ; 日本に住む中で、彼は日本の文化や風習、民話に強い興味を持ち、松江で妻・節子とめぐり合い、やがて日本国籍を取得しました。
功績
1. 日本民話の翻訳と普及; 小泉八雲は日本の民話や伝説を英語で翻訳し、彼の著作『Japanese Ghost Stories』や『Kwaidan: Stories and Studies of Strange Things』などを通じて、外国人に日本の文化を広めました。
「耳なし芳一」「ろくろ首」などが有名だね
2. 日本文化の紹介; 彼の作品は日本の伝統、宗教、風俗についての深い理解を示しており、日本と西洋の文化の架け橋となりました。
3. 文学的スタイル; 八雲の文章は情緒豊かで詩的であり、緻密な描写が特徴です。特に日本の風景や人々を描写した作品は高い評価を受けています。
小泉八雲の影響は、その後の日本文学や文化の理解において重要な役割を果たし、現在でも多くの人々に読まれ、学ばれています。
小泉八雲・旧居を見学
レイクラインバスの停留所・小泉八雲記念館前で下車すると、道路をへだてて目の前に武家屋敷あとの記念館と、東隣には実際に八雲が5カ月ほど生活をした旧居がたたずんでいます。
松江城の堀端なので、周囲には
旧武家屋敷のたたずまいが並んでいます
今回は安来市の足立美術館を訪ねた帰りで、時間もなかったので
八雲が日本人妻の小泉節子と、生活を営んだ旧居だけを見学しました
門をくぐって屋敷内に入り、入口の案内所で「大人310円」の入場チケットを購入。
八雲・セツが新婚時代の5カ月を過ごしたこの旧居は、敷地面積約1003㎡(300坪余り)・建坪158㎡の武家屋敷。そのうち、八雲の書斎・セツの部屋などが屋敷内の庭園とともに見学できます。
部屋のなかで特に印象的だったのは、八雲が執筆をしていた机(写真右端)です。普通の勉強机は高さが70cmほどですが、八雲の机は約90cmもあり、椅子も非常に高い。生来の近眼で、少年期に遊戯で左眼を失明した八雲は、157㎝と小柄でもあり、高い机に高い椅子で坐り、極端にノートに目を近づけて、執筆をしていた姿を想像しました。
むすび
今回は時間もなかったので、小泉八雲が新婚時代を過ごした旧居だけの見学でしたが、学生時代に習った「ラフカディオ・ハーン=小泉八雲」が実際に生活をしていた「ヘルン旧居」を見学することができ、懐かしい思いをしたひとときでした。
「ぐるっと松江レイクライン」も、まるガイド付きの観光バスに乗っている気分になり、藩侯の菩提寺や、夕日で有名な宍道湖のほとりの夕日公園、旧日銀を改装した特産品の「カラコロ工房」など、つい途中下車したくなる市内の名所を案内してくれました。
出雲へ旅行されるときは、ぜひ訪ねてみてください!
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