初めての九州観光 訪ねたかった熊本城へ

初の九州観光旅行で、長崎のあとJRを乗り継いで、熊本市に。
市内でホテルに荷物を預けて、早速、以前から訪ねたかった天下の名城と言われる熊本城を見学しました。

目次

城内までの道中で 「神風連襲撃の石碑」を見つけた

レンタカーでお城まで行き🏯たまたま空いていた「二の丸駐車場」に駐車。
ここからだと北口ルートが近道ですが、北口は日曜・祝日のみのオープンで、ウィークディは南口ルートだけが入場できるので、お城のまわりを少し迂回して南口発売所まで歩きました。

banamo

無料の周遊バスがあると知り、帰りはさっそく利用
歩けば10分ほどの距離ですが、天守閣の最上階まで
階段を上がった後なので、おおいに助かりました

入場口まで歩く途中の左側(お城側)に、「神風連討入口」と銘された石碑がポツンと立っています。

神風連の乱
廃刀令などに対し不満が高まった旧肥後藩士族の派閥のひとつ「勤皇党」の一部が明治政府に強く反発し、
過激な「敬神党」を結成。
1876年10月、熊本鎮台司令官・熊本県令などの邸宅を急襲、殺害後、約170名の集団が熊本城内の政府軍を襲撃し、一時、砲兵営を占拠した。
これに対し、政府軍は児玉源太郎など将校が中心になり、反撃を開始。
敬神党の主だった者は討死、自刃し、騒乱は明くる日に平定された。
この「敬神党」のことを、反対派があなどった別称で「神風連」と呼んでいたため、のちの歴史では「神風連の乱」と呼ばれるようになった。
また、この騒乱が発端となって、九州各地で反政府の動乱がおき、翌年の西南戦争へと拡大していくのである。

この石碑を過ぎ、さらに城壁を左に見ながら歩いて南口入場券発売所へ。

歩いて城域内へ

入場してから本丸への回廊の石垣にも、写真のように2016年4月に起きた熊本地震で崩れた跡が生々しく残っており、修復作業の困難さがうかがわれました。

天守閣の広場までの通路は、見学者用に綺麗に整備されており、天守閣前の広場に通じる通路は、南口からの道からかなり高いところに位置するので、階段かエレベーターで上がることになります。

本丸前の広場は大きく、これまで幾度となくテレビや写真で見て来た天守閣が、目の前の青空の中にそびえてたたずんでいました。
姫路の白鷺城、大阪城と並んで日本の三大美城に数えられているが、青空の下、じつに見事な景観です。

天守閣の内部を見学

天守閣の内部は各階層が時代ごとに分かれて、築城以来のお城の歴史が、階層を上がるごとに分かる仕組みになっています。

先ず、閣内に入ったところの地階ですが、別名「穴倉」とも称され、台所だったイメージを残しています。

階段を上がった一階は「加藤時代」で、加藤清正による築城、周囲の河川の改修など、熊本城の誕生時代を模型などもうまく用いて解説しています。

二階は「細川時代」で、加藤清正の子・加藤忠広の改易により、細川家(藩主・細川忠利)が熊本藩主となり、その後の江戸時代の終末までの城の改修築と治世について解説しています。

三階は「近代」で、明治以降の陸軍の管理下の時代で、明治10年(1977年)の西南戦争による天守閣の消失から昭和35年の再建までの歴史の解説がされています。

四階は「現代」で、昭和・平成の修理、平成28年の熊本地震と復旧への道のりが述べられています。

五階はなく、四階から階段で六階まで上がると、展望フロアとなっており、熊本市街が一望できました。

天守閣の展望フロアから広場と繁華街を見下ろす

結びに

平成28年(2016年)の熊本地震によるお城の石垣の欠落など、テレビで被害の惨状を見ていましたが、今回現場で目の当たりにし、改めて地震による被害の大きさを感じるとともに、一日も早い復興を願う次第です。

なぜだろう

熊本城の誕生とその後の詳しい歴史は、下の熊本城総合事務所の
公式ブログに詳しく載っています!
  ぜひご覧になってください!

https://castle.kumamoto-guide.jp/

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