沖縄の道路を歩いていると「石敢當」と書かれた石碑や、「シーサー」と呼ばれる魔よけの小さな獅子が屋根に乗っかっています。
これら像や碑は、もともと中国の風習であったのが沖縄沖縄へ。そして九州・本州にも伝わって来ましたが、何と言っても沖縄で一番多く見かけます。
今回はこれらの風習の起源や理由について調べてみました。
石敢當(いしがんとう)とは表札みたいだ
石敢當は8世紀ごろに中国・福建省に鬼を鎮めるために置かれたものが始まりで、その風習が琉球から九州を通じて本州にまで伝わって来ましたが、今日でも数多く見られるのは沖縄県内です。
「石敢當」と書いてどう読むかですが、もっとも普通の呼び方は「いしがんとう」であり、これは「石敢當」を中国語では「シーガンタン」と発音するので、中国語の発音によく似ているためと言うのが通説です。
「敢」という漢字は日本語では普通「かん」なのを、中国語の発音に似せて「がん」と読むのですね。
国内での石敢當の分布は、最北は北海道の函館市にあり、最も数の多い沖縄には推測ながら2万基以上あると言われています。沖縄に次いで多いのは鹿児島地方です。
石敢當を設置する目的は、悪霊を防ぎ、厄災を払い除くためですが、琉球の人が「マジムン」と呼ぶ悪霊は直進しか出来ないと信じられていて、T字路のような道路の突き当りや路地裏などに置かれています。
石敢當のサイズでもっとも多いのは
20cmx9cm程度の表札サイズで
素材は「黒ミカゲ石」が大多数です
シーサーも沖縄では、あちこちで見られるよ!
「シーサー」とは伝説の獣像で、起源は古代エジプトのスフィンクスが元といわれたり、或いは古代オリエントの遺跡によく見られるライオン像とも言われており、シルクロードから中国を経て13世紀ごろに沖縄に伝わったとされています。
「災難を防ぐとともに、悪霊を家の中に入らせない」ための魔除けの像で、設置する場所と時代などにより以下の3種類に分けられます。
また、村獅子や屋根に設置されるなど単体のシーサーも多いですが、普通は一対で置かれ、向かって右側に口を開いたオス、左側に口を閉じたメスが置かれます。
口を開いたオスは福を呼び込み、口を閉ざしたメスは災難を家に入れないとされています。
13世紀ごろより、中国から最初に伝わったシーサーで、城(グスク)などに一対で置かれ、魔除けと言うよりは統治者の権威の象徴としての意味合いの方が大きい像です。
村落を火事や災難から守る、いわゆる「守り神」で、村の入口の高台に対ではなく一体だけが設置されている石像です。
現存する沖縄における最古の像は1689年、頻繁に起こっていた火事による災害を防ぐために、風水師の進言によって八重瀬岳に向かって建立された「富盛(ともり)のシーサー」です。
もっとも一般的なシーサーで、屋根の上に乗っている口を開けた赤土のシーサーは、その家の火の神様(ひぬかん)を守り、火をあつかう台所の真上の部分に置かれています。屋根獅子が置かれるようになったのは、かわらぶきの屋根が許された明治以降です。
屋敷獅子や門獅子は牡と牝のペアタイプが普通で、もともと単体であったのが、仏教の影響などで一対のシーサー像が普及したとのことです。
残波大獅子
現在、沖縄で最大のシーサーは昭和60年に設置された、読谷村の残波岬公園にある残波大獅子です。
「琉球王朝時代に中国との貿易で栄えた読谷村の文化を伝承するため」と、中国を向いて建てられています。
その大きさは高さ8.75m 長さ7.8mと巨大な像です!
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