今回は、古代、大陸から日本列島にわたって来たと言う、私たちの祖先について、少し調べてみました。
目次
人々はこのようなルートで日本列島へやって来た
色々な文献を読みますと、我々日本人の祖先は大陸やら南方から移住してきた人々が、長期にわたって混血してきた結果だという説が有力です。
最近はゲノム解析などの手法で、そのルーツが割と詳しく分かってきていますが、古代日本の文明を渡来人ごとに、大まかに分けると次のようになっています。
旧石器時代 | 約4万年前~1万6千年前(紀元前14世紀) |
縄文時代 | 約1万6千年前~3千年前(紀元前1千年) |
弥生時代 | 約3千年前~1700年前(紀元3世紀半ば) |
古墳時代 | 西暦250年ごろ~538年 |
飛鳥・奈良時代 | 西暦538年~ |
日本列島で最も古い人類の生存の跡は、約4万年前の旧石器時代です。この人々がどこから、どのような方法で渡来したかは、いまのところ詳しくは分かっていないらしい。
その後、現代から約1万6千年前、紀元前1万4千年ごろには、縄文時代の人骨や遺跡が発見されています。
それから3千年前まで、縄文時代は実に1万3千年もの長い期間、続いています。
そして弥生時代となり、紀元前10世紀(いまから3千年前)ごろから、稲作文化の弥生人が主に朝鮮半島から渡来し、それ以前からの列島の住民の縄文人が、徐々に北方の北海道、東北地方や南方の沖縄周辺に押しやられました。
これらの人々の移住の推移は、近年、急速に発達したゲノム解析からの推理であり、ほぼ信頼に耐えるものと考えられます。
単純な疑問 古代人はどのようにしてシベリアから来れたのか
ずいぶん以前になりますが、NHNの特集で「NHNスペシャル 日本人 はるかな旅」と言う番組が放映されました。
このシリーズの第一回目で、「マンモスハンター シベリアからの旅立ち」が放送され、茨城県取手市の中妻貝塚から出土した人骨のミトコンドリアDNAが、シベリアに住んでいたブリヤート人とほぼ同じであると判明。
このシベリアに住む人々が、二万年ほど前の氷河期末期に、食料となるマンモスを狩りながら、大陸からサハリンへ、サハリンから北海道へ、歩いて渡って来たと言う。
この番組をみながら不思議に思ったのは、100m以上もの深さの海峡が氷河期とは言え、平均気温が現在の5℃ほど低いだけで、人や獣が渡れるほど氷が厚くなるのか、という単純な疑問でした。
間宮海峡(サハリンと大陸の間の海峡)は比較的浅いらしいが、宗谷海峡、津軽海峡などはどのようにして渡れたのか。
しかし、この疑問はこの kazutanablogs の別のコラムにある、カール・セーガン博士の名著「百億の星と千億の生命」を読んだとき、解けたように思いました。
「百億の星と千億の生命」の書の中に、CO2と地球温暖化の関係に触れる章がありますが(第11章 待ち伏せ)、ここで博士は「二万年前は、シカゴは1キロメートル以上の分厚い氷の下に埋もれていた。」と述べています。
余り緯度が違わないシカゴが、1キロメートル以上の氷に埋もれるなら、間宮海峡や宗谷海峡が氷で陸続きになるのは、少しも不思議ではないと思った次第です。
むすび
それにしても、地球上の平均気温の差がわずか5℃低いだけで、今は快適に住める地域が1kmの氷に埋もれていたとは、信じられない気候変動ですね。
逆に言うと、今より地上の平均気温が5℃も上がれば、我々が今、快適に住んでいる日本列島のこの地域が、今世紀末にはどうなるのだろうと考えてしまう。
いずれにしても、我々の時代の快楽のツケを子孫にまわさないよう、最善を尽くすべきと強く考えさせられます。
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