バルセロナ生まれの作家,カルロス・ルイス・サフォンは,この長編「風の影」でスペインを代表するミステリー作家の地位を不動のものとしました。
「風の影」は,単なるミステリー小説の域を越え,文芸小説としても傑作ともいえます。


本編を詠む前に ー「訳者あとがき」がおすすめ
集英社文庫本「風の影」は上下二冊で構成されており,それぞれ400ページ余り,計800ページを超える長編です。
物語りの展開は,作品の主人公・ダニエルが10才のとき,1945年からはじまり,もうひとりの主人公・フリアンの少年時代,1910年代にさかのぼるとともに,1933年~1954年へと二人の主人公を軸とした物語が交錯しながら,経(たて)糸と緯(よこ)糸で紡(つむ)がれていきます。
何層にもかさなる登場人物たちとその運命。長編「風の影」の物語の構成をあらかじめ理解するには,下巻の最後尾に著された,「訳者あとがき(木村裕美氏)」を先ず読まれることをおすすめします。
ものがたりの時代背景
ふたりの主人公ーダニエルとフリアンーが生きた時代,19世紀末から20世紀後半にかけて,その舞台・バルセロナを取り巻く環境は歴史上も激動の時代と言えます。
ヨーロッパ全土が,二つの世界大戦ー第1次大戦と第2次大戦ーで混乱をきわめた半世紀。そのなかで,スペインは軍による内乱の勃発(1936年)と,それに続くフランコ政権の,36年にわたる独裁(1939~1975年)という暗黒時代。
「風の影」は,そのような時代のなかで,懸命に生き,愛をはぐくんだ人々のドラマであり,悲劇のなかにも希望を紡いでいこうとする,勇気ある人々の物語です。
ストーリーの展開
バルセロナで生まれ育った少年ダニエルが,父センペーレに導かれた「忘れられた本の墓場」で手にした一冊の書「風の影」の作者,「フリアン・カラックス」を探求するミステリー仕立てである。
ダニエルが愛するベアトリス。フリアンが愛するペネロペ。ベアトリスの兄・トマスとペネロペの兄・ホルヘ。35年の年月を隔(へだ)てながら,相似形の二人の愛と運命。
ストーリーはフリアンの探求を縦軸,フリアンとダニエルの愛とその顛末をを横軸とし,折り重なる展開でミステリアスに進んでいく・・・
印象に残る言葉 作者の伝えたいフレーズ
作品のなかには,作者の気持ちを表わすフレーズがあちこちの場面にちりばめられています。
それらのなかで,印象に残る言葉を書き出してみました。
「テレビはねえ,ダニエル君,つまり,この世の終わりですよ。~~ 地球上の人間はねえ,新聞が騒ぎたてるみたいに。原爆で滅んだりしませんよ。笑いすぎて全滅するんです。ばかばかしい話や,冗談しか言えなくなる。しかも,知性のかけらもない。最悪の冗談だけですよ。」
「さもしい根性から出たものであれ,無知によるものであれ,子供の心を毒してしまった大人の言葉って,その子の記憶にしっかり刻まれて,いつしか魂を焼き焦がしていくものだから。」
「人生なんて,せいぜい三つか四つのことのために生きる価値があるんであって,それ以外のことは,畑にまく肥やしみたいなもんですよ。」
「話すは愚か者,黙るは卑怯者,聞くは賢者のわざなり」
「わしらが人をどう判断しているか,考えてみりゃ,おもしろいもんだな。相手を軽蔑するのがどれほどみじめなことか,自分じゃ気づかんのですよ。その人間がいなくなってはじめてわかるんだ。~」
「人間というやつはねえ,セニョリータ(お嬢さん),人生で,まちがいばかり犯しつづけるもんですよ。ただ,年をとってからしか,それに気づかんのだ。~」
「物語というのは,その書き手がなにかを語ろうとして,自分あてに書く手紙のようなものだ。~」
作者「カルロス・ルイス・サフォン」のプロフィール
カルロス・ルイス・サフォン(Carlos Ruiz Zafón)は、1964年9月25日から2020年6月19日まで生きたスペインの作家であり、特にその幻想的でドラマティックなストーリー展開によって知られています。彼はバルセロナ出身で、主な作品はその街を舞台にしていることが多く、文学愛好家から高く評価されました。
略歴
- 出生 : バルセロナ、スペイン
– 教育 : バルセロナ大学でジャーナリズムと文芸を学び、広告業界でキャリアをスタート。
- 作家としてのデビュー : 1992年 バルセロナ・オリンピックの年に執筆活動へ。年少者向けの冒険ミステリーを出した。結婚を機に,ロスアンゼルスに移住し,執筆活動を続ける。
- 著名な作品 : 特に『忘れられた本の墓場』シリーズが国際的に有名です。
- 死去 : 2020年、移住先米国カリフォルニア州ロスアンジェルスにて逝去。(大腸がんのため)
主要作品
1. 『風の影』(La Sombra del Viento, 2001) – 彼の代表作。バルセロナの地下図書館を舞台に、失われた本の秘密を追い求める青年の物語。シリーズの第一作で、続編として『エル・ゲーム・デ・アングル』などがある。
2. 『天使のゲーム』(El juego del ángel, 2008) – 『風の影』の続編で、バルセロナを舞台にした幻想的な物語。
3. 『天国の囚人』(El prisionero del cielo, 2011) – 『忘れられた本の墓場』シリーズの3作目で、過去と秘密が交錯する複雑なストーリー。
4. 『精霊たちの迷宮』(El laberinto de los espíritus, 2016) – シリーズの最終作となるこの作品では、登場人物の運命が描かれている。
5. 『マリーナ バルセロナの亡霊たち(マリアの手紙)』(Las cartas de María, 2018) – 短編集で、さまざまなテーマを扱っている。
作風
カルロス・ルイス・サフォンの作風は、以下のような特長があります:
– 幻想的でミステリアスな要素 : 彼の作品はしばしば幻想的な要素を取り入れ、リアリズムと幻想を巧みに結びつけています。
- 詳細な描写 : バルセロナの風景や文化が詳細に描写され、物語の土地を生き生きと感じさせます。
- 複雑なキャラクター構成 : 登場人物たちはそれぞれに深い背景や心理描写があり、読者に強い印象を与えます。
– 暗いテーマと希望の光 : 彼の作品はしばしば死や悲しみといった暗いテーマを扱っていますが、同時に人間の希望や愛、それに伴う成長も描かれています。
サフォンの作品は、単なるエンターテインメントを超え、読者に深い感情的な影響を与える力を持っています。彼の物語は、文学的な深化を求める読者にとって魅力的な選択肢となるでしょう。


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